ボルシア・ドルトムント/ドイツ

MF 香川真司

身長/体重 172cm/63kg
生年月日 1989年3月17日
出身地 兵庫県
主な国際大会出場歴 U-20ワールドカップ(2007年)、北京五輪(2008年)、ワールドカップ(2014年)
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選手説明

 FCみやぎバルセロナユース時代、17歳でセレッソ大阪とプロ契約を結び、2007年にJ2でデビューを果たした。その後すぐさまレギュラーを獲得するなど、目覚ましい成長を遂げると、同年に行われたU-20ワールドカップ(W杯)に飛び級で参加。08年もJ2でのプレーが続いたが、U-19代表、飛び級でU-23北京五輪代表にも選出され、若くして国際舞台を数多く経験した。

 08年5月、岡田武史監督から初招集を受け19歳でA代表デビューを飾ると、10月のUAE戦で代表初ゴールをマーク。これは史上3番目の若さで、一躍、将来の日本サッカーを背負って立つ逸材として脚光を浴びることになった。その後も、好パフォーマンスを披露し、09年には大車輪の活躍でC大阪をJ1昇格に導いた。10年はJ1初体験となったが、11試合で7ゴールとあらためてその実力を証明。W杯・南アフリカ大会のメンバーには選出されなかったが、将来性を買われてサポートメンバーとして帯同した。

 10年7月にドルトムントに移籍すると、プレシーズンマッチから活躍。レギュラーの座をつかむと、ドルトムントの快進撃を支える中心選手として高い評価を受け、ブンデスリーガ前半戦のMVPに選出された。しかし後半戦は、アジアカップ準決勝での右足小指の骨折というアクシデントにより、戦線離脱。それでも10-11シーズンは18試合に出場して8ゴールと、チームのブンデスリーガ制覇に貢献した。

 翌11-12シーズンはまさに飛躍の1年となる。開幕直後こそ不振を極め、先発メンバーから外れることもあったが、本来の調子を取り戻すと、その後はゴールとアシストを量産。チームのリーグ連覇を決めるゴールや、DFBカップ決勝の先制点など重要な局面での決定力が際立った。チームを2冠に導いたその才能は、世界屈指のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督もほれ込み、12年6月に同クラブへの移籍が決定。

 海外3年目となった12-13シーズンは活躍の舞台をイングランドに移し、マンチェスター・ユナイテッドでプレー。世界的な名プレーヤーに囲まれる中、開幕戦でフル出場を飾り第2戦で初得点を挙げるなど順調なスタートを切った。その後も、コンスタントに出場を重ねたが、10月にひざの負傷で戦列を離れると、復帰後は不調に陥る。シーズン終盤の3月にようやく輝きを取り戻すと、プレミアリーグでアジア人として初のハットトリックを達成。26試合6ゴールの成績を残し、チームもプレミアリーグ優勝を果たした。

 しかし、さらなる成長を誓って臨んだ13-14シーズンは、これまでのサッカー人生で最も困難な1年を過ごすことになる。新たに就任したモイーズ監督の信頼を得られず、出場機会が激減。チームの低迷もあり、本来の実力を全く発揮できないまま、無得点でシーズンを終えた。W杯・ブラジル大会でもその不調を引きずり、日本代表は1分け2敗と惨敗。自身も第2戦のギリシャ戦でスタメンから外されるなど、苦汁をなめた。

 捲土(けんど)重来を期す14-15シーズンは、3シーズンぶりに古巣ドルトムントへ復帰。2年連続でリーグ2位に甘んじているクラブを悲願の優勝へと導くことができるか。まずはレギュラーの座をしっかりとつかみ、試合勘を得ることで、かつての輝きを取り戻したい。再出発で勝負の1年に挑む。

2015年2月3日現在

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経歴

所属チーム出場試合数得点
2006 セレッソ大阪 0 0
2007 セレッソ大阪(J2) 35 5
2008 セレッソ大阪(J2) 35 16
2009 セレッソ大阪(J2) 44 27
2010 セレッソ大阪 11 7
2010 ドルトムント(ドイツ) 18 8
2011 ドルトムント(ドイツ) 31 13
2012 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 20 6
2013 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 18 0

主なタイトル

タイトル
2011 アジアカップ優勝、ドイツ・ブンデスリーガ優勝
2012 ドイツ・ブンデスリーガ優勝、DFBカップ優勝
2013 イングランド・プレミアリーグ優勝

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